壬申戸籍とは
私(萩本勝紀)は、いくつかの『壬申戸籍(じんしんこせき)』を所蔵しています。
壬申戸籍とは、明治4(1871)年の太政官布告第170号戸籍法によって、明治5年に編成された最初の全国的戸籍のことです。 明治5年の干支が壬申(みずのえさる)だったので『壬申戸籍』と呼ばれています。
この戸籍は、明治元年の「京都府戸籍仕法」や明治2年「東京府戸籍法」などが華族、士族、平民といった身分別に戸籍を作成していたのを改めて、基本的にすべて国民を同一の戸籍に記載したものです
書式はいくつかのパターンがあり、全国的には統一されていませんでした。
壬申戸籍は、今で見れば“差別的”と取られる表現があるため、昭和43年に閲覧が禁止となってしまいました。
そのため、現在役所で取れる最古の戸籍は、差別的表現をなくした『明治19年戸籍』と言われるものです。
壬申戸籍は閲覧不可能な戸籍ですが、私は何度か見てきました。
閲覧禁止なのに何故見ることが出来たか…
というのも、元庄屋や村の名主、大地主のなかには手控え用の戸籍台帳(壬申戸籍の副本にあたるものや下調帳)を持つ人がいました。村・人を管理するために必要だったからです。
その末裔の人などが、先代の遺品整理、屋根裏や蔵(倉)を整理した際、古文書と一緒に見つかったのが、私が見た戸籍(副本)です。内容は原本と同じです。私が所蔵しているのはこれらの壬申戸籍です。
壬申戸籍は、江戸から明治をつなぐ貴重な家系情報です。
壬申戸籍の差別的表現とは
では、閲覧禁止になった差別的表現とは何でしょうか?
その後の戸籍には無く、壬申戸籍に書いてあることは次のような内容です。
・身分族称(平民・士族など)
・職業(農・商など)
・氏神(氏子となっている神社)
・菩提寺
・同居している妾や使用人などの氏名や情報
・借地、借家か
・死因
犯罪歴が書かれることもあったようですが、私は見たことはありません。
またよく壬申戸籍で言われている、穢多、非人のよう明らかな差別表現も見たことはありません。
私が所蔵する壬申戸籍
私が所蔵している壬申戸籍は、『羽前國置賜郡今泉村』(現在の山形県長井市)のものです。
明治8年の改帳(毎年内容を改めることで改帳といいます。)で、出産や死亡、結婚などの新たな届出のあった箇所は朱記されています。
下↓は抜粋画像です。
もう一つ。
明治8年、『上京第一区天神北町』(現在の京都市上京区)の壬申戸籍です。
上記の山形県の書式と多少異なります。
この書式と同じ壬申戸籍を群馬県でも見ましたので、明治初期の頃の戸籍書式は、全国的に統一の途中であったともいえます。
下↓は抜粋画像です。
同じく明治初期の戸籍を所蔵しています。→ こちら
2018年4月10日(火)放送のTBSテレビ「この差って何ですか?」の番組の中で、羽前國置賜郡の壬申戸籍が使われました!
詳しくはこちら→ 萩本勝紀のビジネスブログ
私は先祖調査・姓氏研究を専門にしており、「検地帳」「宗門人別帳」「五人組帳」「武艦」「分限帳」といった古文書を複数所蔵しています。
その中でも「壬申戸籍」は特に貴重なものです。
萩本勝紀(行政書士・姓氏研究家)