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明治時代 苗字の歴史Information of Local History 

明治初年からの苗字の歴史


明治初年の時点で苗字を公称できたのは、すべての国民(約3300万人)の6パーセント(約200万人)にすぎないといわています。
江戸時代後期は、改名・変名・複名は自由で、脱藩・浪人など、人の存在性の把握は難しいものでした。
明治政府は「中央主権国家の成立・富国強兵」を目指し、「徴税・徴兵」を行うため、すべての国民を把握する必要性がありました。
そこで、明治5年に戸籍法が施行されたのですが、これに前後して、苗字(姓氏)に関わるさまざまな動きがありました。
その歴史を以下にまとめてみました。
また、夫婦異姓か同姓についても論議がされていたので、その経緯も紹介します。

 年 月 日 事  項
明治2(1869)年4月 森有礼が『通称を廃止して貴賤上下を問わずすべて実名を用いるべき』と公議所に建議した。
→明治2年4月27日に可決された。
明治3(1870)年9月19日 『平民苗字公称許容令』が布告された。
正式には『自今平民苗氏被差許候事』という太政官布告である。
→これにより平民も自由に苗字を公称できるようになった。
明治3(1870)年11月19日 『国名・旧官名使用禁止令』(太政官布告第845号)が出された。
→名前に国名(例えば但馬守や阿波守)や旧官名(衛門や兵衛)の使用が禁止された。しかしこの規定を積極的に守ろうという役所と、そうでない役所あった。政府の意思は統一されなかった。
明治4(1871)年4月4日 全国統一の『戸籍法』制定(大政官布告第170号)
明治5(1872)年2月1日 『戸籍法』施行、俗にいう「壬申戸籍」の開始。
→国民すべてを「戸」(つまり家)において把握するものである。
明治5(1872)年5月7日 『複名禁止令』(太政官布告第147号)が出された。
→『通称・実名のうち、どちらかを名とすべき』と布告された。つまり個人を確定するものである。
明治5(1872)年8月24日 『改名禁止令』(太政官布告第235号)
→苗字と名と屋号の改称が禁止された。これも個人を特定することである。
明治8(1875)年2月13日 『平民苗字必称令』が布告された。(太政官布告第22号)
→明治3年の許可令では苗字をつけない人が大勢いた。なぜなら苗字がなくても生活に困らない人が大勢いたためである。
しかしこれでは政府の思惑からずれてしまう。
そこで国民は、すべて苗字を公称せねばならぬ、という国民の義務とした。
明治9(1876)年3月17日 『妻の氏は「夫婦異姓」、わが国古来の慣行に従うこと。』という太政官指令が出された。
つまり妻は夫の「家」を相続しない限り「所生の氏(※生まれた家の苗字)」を称すべき、という原則の確定である。
この原則は明治31年の民法施行まで行われた。
→しかし多くの地方から疑問視する声があがる。夫婦異性か同姓かの賛否は割れた。
明治18(1885)年 福沢諭吉が『結婚すれば2人の苗字から1字ずつ取って新苗字を作ればよい。』という見解を「日本婦人論」で述べた。
 明治31(1898)年 『明治民法』が施行された。わが国最初の近代的な民法典である。
→これにより「夫婦同氏」が始まった。
・第746条 戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス
・第788条第1項 妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル 
昭和23(1948)年1月1日   戦後民法が大改革され、『新民法』が施行された。
→明治民法の「家」制度を廃止。夫婦が家族の基本単位となった。(現在に至る)


(補足)
明治2年、太政官に制度局が置かれ、翌3年江藤新平を中心に民法などの編さんが始まった。
明治31年の明治民法施行まで、さまざまな法典論争が行われた。夫婦異姓か同姓かについても、政府の見解は二転三転したのである。
そして今、選択的夫婦別氏制度が論議されている。




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